島根有機農業協会ブログ

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食の練習問題 №21

2010年3月10日

このシリーズの1から20では、「食べ物と農薬を巡る疑問や不安について」様々な角度から触れられていました。確かにこのような見方はあるでしょう。しかし、これだけでは日本において1970年代以降取り組まれてきたもう一つの食べ物を巡る流れ、「有機農業への取り組み」の意義が理解できなくなってしまいます。世界的にはすでに1990年代以降、多くの先進諸国で有機農業があるべき農業の方向として推進されています。日本では、2006年末になってようやく「有機農業推進法」が国会を通りましたが、それは、長年有機農業に取り組んできた生産者達の実績が無視できなくなったからでしょう。

Q:日本において有機農業や減農薬を目指す運動が意識的に取り組まれるようになったのは、1970年代はじめだといわれています。なぜその頃に取り組まれるようになったのですか。

A:日本の高度経済成長は、50 年代半ばに始まり73年に終わりました。その末期には、全国的に公害事件が表面化し、反公害運動が各地で起こり、四大公害事件の訴訟は、原告側勝訴の判決が相次ぐことになりました。農業分野では、第二次世界大戦後に有機合成農薬が欧米より導入され、収量は飛躍的に伸びました。また、除草剤も登場し、農家の重労働からの解放が実現するなどまさに農薬万能の時代でした。しかし、「初期の有機合成農薬の中には、効果に重点が置かれていたために人畜や環境に対する安全性への配慮に欠けていたものがあったのも事実」(「食の練習問題2」)でした。農薬の盛んな使用は、真っ先に農民自身の健康に深刻な影響を与えました。したがって、このことを明らかにし、社会に問いかけたのは農民の健康被害を直接目にする医師達でした。70年代に入る頃には、農薬の急性毒性、残留性、慢性毒性が明らかにされ、当時の農林省も使用禁止措置を講じざるを得ない状況に追い込まれていたのです。
 70年代以前に、すでに、今で言う「有機農業」に取り組む農民は全国に少数存在していました。その動機は、安全性や健康への関心というより、農地の地力低下や飼養家畜の異常に気づいた事、あるいは宗教的な理由によるものでした。
 このような流れの中で、71年農業者、医学者、農学者、協同組合関係者による日本有機農業研究会が結成されることになります。この会の目的は、「環境破壊を伴わず地力を維持培養しつつ、健康的で味の良い食物を生産する農法を探求し、その確立に資すること」となっています。この会の発足に力を得て、有機農業に取り組もうとする生産者は、全国各地に見られるようになります。その開始の動機は多様ですが、国民生活センターの調査によれば、家族や自分の農薬からの自衛、家族のための安全な食べ物の確保、さらには消費者への安全な農産物の供給等が多くあげられています。とはいえ、少数者の取り組みであり、技術的にも試行錯誤を重ね、収穫皆無の経験を持つ農民も少なからず存在しました。日本の有機農業生産技術は、これら農民の工夫と努力により開花していったのです。