島根有機農業協会ブログ
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食の練習問題 №23
2010年3月10日
Q:現在では、スーパーや百貨店などどこにいってもごく普通に、国産と外国産の有機農産物が並んで売られています。消費者にとっては有機農産物を買いたくてもどこにもない、ということは無くなりました。どのような経過によって、そのようになったのですか。
A:今までに、有機農産物が注目された時期が何度かありました。最初は70年代半ば頃ですが、当時は、生産者と消費者の「提携」と言う形がほとんどであり、自然食品店以外では売られていませんでした。
それが、80 年代に入り、女性の社会進出が進み、生産者と消費者とが提携しその流通過程に消費者が参加するという方式を維持することが困難となっていきます。一方、この頃、チェルノブイリ原発事故や農産物のポストハーベスト農薬問題が大きく取り上げられ、一般消費者の環境や食の安全性に対する関心も高まりました。そしてそれらに対応して、生協や専門業者が有機農産物の流通に参加するようになり、スーパーや百貨店においても有機野菜コーナーが設けられるようになりました。
この様にして、有機農産物は安全・安心というイメージが広がることになりますが、当時の有機農産物には明確な基準はなく、内容と表示が混乱する中での販路の広がりでした。しかし、生産と消費が分断された中での、確かめようもない有機農産物の流通であり、やがて信頼できる表示や認証システムを求める声が強くなっていきました。
そして、92年、農林水産省が「有機農産物等のガイドライン」を策定し、以後は市場に出回る野菜の半分以上が無農薬、低農薬と表示されるというような混乱は整序されるようになっていきます。80年代半ば以降、生産者の間にも有機農業に対する関心が高まり、女性や高齢者を中心に試みられるようになっていきます。その結果、新しく加わった外食産業への流通・販売ばかりでなく、生産者による直売市の開設や、宅配による消費者との契約も加わり、有機農産物の生産と消費が大きく伸びることになります。その背景には、90年代後半以降、狂牛病問題、遺伝子組み換え農産物やダイオキシンの問題等、食べ物を巡る不安要因が次々と浮上した結果、安全・安心・健康志向がきわめて強まったことがありました。しかし、安全な食べ物の象徴としての有機農産物でしたが、急速に伸びる需要に国内生産は追いつかず、また、価格も高目であったことから、安価な輸入有機農産物が急増することにもなりました。近年もこの様な状況は大きく変化していません。